この記事をご覧になっているということは、お母さんがご病気、もしくは亡くされた方でしょうか?
わたしも同じ。
10年以上前に母を亡くし、母ロスを経験しました。
この経験を書くことで、同じような思いを抱えた方に「みんな同じなんだな」と心を楽にしてもらいたいと思っています。
お母さんを亡くして、いつ頃立ち直れるのかは人によって色々ですが、参考にしていただければと思います。
ところで、母ロスという言葉は、お母さんを亡くした辛さをひきずってしまうという表現方法です。
数年前に、NHKの番組でこのような表現を見て、「もしかして、わたしも母ロスかもしれないな」こんな風に感じてから使うようになりました。
ネット上では「そんな軽々しい言葉で表現しないで。」という批判もありますし、どう表現するか迷いました。
しかし、わたしは表現にはこだわりがなく、使いやすいので敢えて「母ロス」という言葉で表現しています。
そのNHKの番組を見て、母ロスという症状だと知れて、気が軽くなりました。
- お母さんを亡くして辛い方。
- いつになったら辛さがとれるのかと絶望感でいっぱいになっている方。
もくじ
母の病気が発覚。いきなり余命宣告される
「余命はあと半年から1年です」母が医者からこう告げられたのは、わたしが20代の最後の方の冬でした。
わたしは就職し、夫と出会い、すぐに結婚し男の子と女の子を産んでいました。
仕事を続けたかったわたしは夫や母に助けてもらいながら仕事をしていました。
両親と夫との関係も良好で、念願の女の子が産まれた時には「わたしは世界一幸せかも知れない」
本気でそう思っていました。
そんな幸せは医者からの「余命宣告」でガラガラと崩れてしまったのです。
昔はがんだということを本人には隠していたそうです。
しかし、現在は家族に確認もなしで、その場で病名とステージ・余命宣告までされてしまいます。
その後の治療に良い結果がでるということですが、わたしは余命宣告までしてしまうのはどうかと疑問を持ちました。
母、父、わたしの3人で聞きましたが、目の前が真っ暗になり、身体が震え、とにかく全身が痛かったのを覚えています。
父が動揺しているのも、母が泣くのを見たのも初めてのことでした。
そしてわたしは、全身が震え、痛みだしました。
本当に辛いことがあると、全身に痛みが出るんですね。
経験がなかったので驚きました。
そして、その日から3年間もの間、味覚がマヒし、食欲不振が続きました。
- 目の前が真っ暗になる。
- 全身に震えと痛みがあった。
- ショックで味覚を感じなくなってしまった。
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【体験談】専業主婦にガン保険は必要か?必要な保障を説明します。辛くて仕方がなかった闘病生活
ミタマロ
それが一転、母の闘病生活が始まってからは辛くて悲しい思い出ばかりになってしまいました。
病気が発覚してからすぐに手術をし、1ヶ月も経たないうちに家に帰ってこれた母でしたが、待っていたのは通院しながらの抗がん剤治療です。
3週間に1回の抗がん剤治療は、考えていたよりも副作用が大きかったです。
みるみる痩せていき、手が真っ黒になり、顔はしわしわになりました。
髪の毛はあまり抜けなかったことが不幸中の幸いでしたが。
肝心の効果はというと、最初は薬が効いていて、がんが縮小していきました。
「もしかして、本当に治っちゃうかも!!」
と家族で大喜びしたこともありました。
それが一転、先生からわたしだけに薬が効かなくなってきたことを説明されたことがありました。
その日の病院の帰りは母に気づかれないように泣かないようにと必死で元気なふりをしたのを今でも鮮明に覚えています。
わたしは嘘がつけない性格なので「母は気づいてしまったのではないか」と不安になりました。
そして、先生から、母にも説明されました。
最初に使った抗がん剤に見切りをつけて、次の薬を使う事にするかどうかという内容でした。
効かなくなってきたことを説明されると
母は「わたしはもう、治療をするのが辛いから、あきらめます。」
こういって、母は自分の人生を終える決意をしました。
先生は「わかりました。もし、気が変わったら遠慮なく言ってくださいね。」
と優しく母に微笑みかけてくださいました。
その日の帰りはケーキ屋さんに寄って欲しいと言われたので寄ったのですが、わたしの家族の分だけ買ってくれて持たせてくれました。
「お母さんは?食べないの?」
「食べたくないからいいよ。」
何よりケーキが好きだった母が食べたくなくなってしまった事は、今思い出しても悲しいです。
その日買ったケーキ屋さんにはいまだに行けません。
治療をやめた後の生活は心穏やかだった。
母の余命宣告から母の死後までの間、夫は全力でサポートしてくれました。
まだ幼かったこども達の世話はほとんど任せっきりでしたが嫌味も言いませんでした。
自分の飲み会や付き合いは我慢してくれていたと思います。
今でもとても感謝しています。
仕事が終わると実家へ行き、仕事が休みの日も実家に行かせてもらっていました。
母の体調のいい日は2人でランチをしたり、娘と3人でピクニックをしたりと母に合わせた生活が数カ月続きました。
わたしは、夜は眠れなかったし泣かない日はなかったけど若さで耐えられたのだろうなあと思います。
「がん」の本を購入して代替治療のようなものの勉強をしたり、がんが消える食事の勉強をし、母に野菜ジュースを飲ませたりと必死でした。
「もしかしたらこのジュースでがんが消えてしまうかもしれない。」
「まだ希望は絶対に捨てない。」
そんな気持ちでいっぱいでした。
抗がん剤での治療をやめて少し元気になっていた時期なのでそんな風に考えられたのだろうと思います。
平穏な日々は長くは続かなかった
いよいよ、母の体調が悪くなってしまいました。
坂道を転がるようなスピードでした。
たまった腹水で服が苦しく、むくんだ足では普通の靴は履けなくなってしまいました。
病院の帰りに父と母とわたしの3人でスーパーで一緒に買い物したのが最後に母と出かけた日になってしまいました。
その日から3週間後、母は、亡くなりました。
今から約10年前のことです。
亡くなってからの事
母が亡くなってから49日までは毎日が忙しかったです。
親戚が集まり、法事だ墓だと決めることや、初めて経験することで手いっぱいでした。
こどもも小さかったのと、仕事もしていましたので、悲しいけどなんとか耐えながら頑張れたのだと思います。
そんなわたしに異変があったのは、49日が終わってからでした。
急に仕事ができなくなったのです。
独身の時からの職場で慣れた仕事だったにもかかわらず、頭が真っ白になったり、冷や汗が出て、仕事に集中できなくなってしまったのです。
そして、仕事からの帰り道は涙が止まらない。
よく眠れない。
母との思い出のある道路は通れない。
母とよくいったスーパーに行くと辛い。
実家に帰っても辛い。
仲良さそうな母娘を見ると、本当に辛い。
等が主な症状でした。
- 仕事が以前のようにこなせなくなった。
- 母との思い出が辛い。
- 味覚は全く戻らない。
母の死から1年が経った頃
この頃は実は母が亡くなってから1番辛い時でした。
1周忌の時に悲しみが逆に深くなる時期でもあると。
お坊さんもおっしゃっていました。
その言葉に救われたのを覚えています。
症状は同じでしたが、仕事をやめていましたので仕事での悩みは無くなっていました。
今振り返るとこの頃は本当に食欲がなく、痩せていましたね。
そして、誰かに依存してしまうようになりましたね。
この誰かというのは、夫と子供と「新しく出会った知り合い」でした。
こういう時期に出会う人は要注意人物だったりするのではないかと今なら冷静にわかります。
新興宗教やねずみ講なんかにひっかかる人の中には、「寂しさ」を抱えている人が多いと思うからです。
わたしは、こういう勧誘には引っかかったことはありませんが、その新しく出会った知り合いは、ちょっとそういう人でした。
わたしといる事に目的がある人というか利害のある人というか。
そういう人間関係作りしかできない人なのだろうと思います。
その時は違和感を感じながらも痛みが辛すぎてそういう人といるのが楽だったんです。
なかなか上手く表現できないのですが。
- 性格が卑屈になった。
- 病気発覚後母と旅行をしていない事を後悔する。(父と母は行きましたが、わたしは仕事で行けなかった。)
- 味覚はないまま。
- 漠然といつも寂しい。
- 親友たちに会うのが辛い。
- 人に依存してしまうので「変な人」と知り合う。
母の死から3年が経った頃
この頃のわたしもまだまだ悲しみを背負っていました。
楽しいこともあるけど、やっぱり幸せではなかったです。
まだ、母の事を思い出すのも怖いし、写真は見れても動画は見れなかったです。
1人で母とよく行ったスーパーには行けなかったです。
だけど、ある日、夫と2人で外食した日のことでした。
ミタマロ
パパさん
そうです。
味覚が戻ってきたんです。
その後、嬉しくてコーヒーを飲んで、久々にデザートも食べました。
ミタマロ
- 味覚が戻る!!
- まだまだ悲しい。
- 母との思い出は思い出したくない。
母の死から5年~7年が経った頃
はっきりと鮮明に覚えているのですが、母の死後、母が夢に出てきたのが、死後5年が経った頃だったと思います。
わたしは母が夢に出てきたことに本当に驚きました。
今まで、意識的に忘れようとしていたのか、全く夢に出てきたことが無かったからです。
うっかりと気が緩んだのか、出てきてしまったのです。
今でも、「母は闘病中で、いい薬が開発されたところで目が覚める」
こういった夢はちょこちょこ見るのですが、その時もそんな感じの夢でした。
夢を見た後、会えて嬉しい感じがしてきました。
思い出も少しずつ怖くなくなってきました。
- 母との思い出が辛くなくなってくる。
- 悲しみと寂しさは全然消えない。
母の死から7年~10年(現在)
最近は、母との思い出を笑って家族と話せるようになりました。
母は生きている時には幸せな人生だったこと。
母が亡くなる前にわたしにこう言ってくれたことが今では救いになっています。
「すごく良くしてくれたね。ありがとう。忙しいのに毎日来てくれたことが嬉しかった。わたしが死んだらもう苦しまなくて済むから喜んでね。」
いつもは素直ではなかった母がそう言ってくれたことです。
この言葉には母の思いやりが全てつまっていたのだと思います。
親にしてあげたらよかった。お母さんが可哀想。
こういう亡くなった親に対する可哀想な気持ちや後悔の気持ちを取り除こうとしてくれたのです。
せっかく母が、娘が辛くないように、後悔がないように、ありがとう。と言ってくれたのに、亡くなってすぐの時にはそういう風には考えられなかったのですが、時間が経つにつれて母の想いがわかってきました。
- 今でもとても悲しくて寂しい。
- いい思い出も悪い思い出も思い出すのが辛くなくなった。
- 思い出すと泣けてくる。
- 悲しいけど時間が経ちすぎて、今更誰にも相談できない。
母が亡くなってからのまとめ
わたしの場合は、寂しくて悲しい気持ちは今でも無くならず、寂しい気持ちは年々増しているかもしれません。
他の味覚がわからなくなる等の症状や、母の事を思い出したくない気持ちはありません。
こんなにも長い間、苦しまなくてはならないのかと感じた方もいらっしゃるでしょうか?
あるいは、もっと苦しんでいる人もいるでしょうか?
悲しみにも、立ち直り方にも個人差があるでしょうね。
わたしの場合は、夫や子供の存在に助けられましたが、もしもそうでなかった場合はどうなっていたのかもわかりません。
それでも生きていかなければならないのです。
もし今お母さまを亡くされて苦しんでいる方には、「時間が解決してくれる。」としか言ってあげられません。
寂しさはなくならなくても、苦しみや不調からは少しずつ解放されると思います。
時間だけが解決してくれるんだと思います。
もし、この記事を読んで「まだお母さんが亡くなってこれだけ悲しいのは当然なんだな。」という風に少しでも助けになればと思います。
ミタマロさん、初めまして。
今年8月31日に母を亡くし、やっと49日の法要を済ませたところです。
母が亡くなるまでの経過、自分の気持ちがとてもシンクロしていましたので、コメントさせていただきました。
私は味覚がなくなることはありませんでしたが、その他はほぼ同じです。
今は、あえて思い出さないようにしているところです。思い出すと辛すぎるので。
これから先もミタマロさんと同じようになるのかはわかりませんが、母と最期に頑張ると約束したので、母に貰った命を大切にしなければと思っています。
aki様
コメントいただいていたことに気づかず、今になってしまいました。
申し訳ありません。
お母さまが亡くなられてまだ日が浅いとのことで辛い思いをされているのではないでしょうか。
わたしには子どもがいますので、aki様のお母さまのお気持ちは痛いほどわかります。
「自分が死んでも悲しまずに元気に暮らしてほしい。」
子ども達に望むのはこれだけです。
わたしもaki様と同じように母に貰った命を大切にしていきます。
お互いゆっくりと乗り越えていきましょうね!!